定年説をめぐって — 3. Plan B

Hajime Morrita
To Phantasien
Published in
6 min readFeb 7, 2017

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ここまで散々35歳定年説について書いてきたけれど(1, 2)、プログラマのキャリアについて語る今日的なキーワードは「生存戦略」かもしれない。目についたところではWeb+DB Press の連載などで使われている。

「生存戦略」は言葉としてまだ「35歳定年説」ほど汚染されていないし、問題をより的確にとらえた良い名前だと思う。ある世代以降のプログラマが定年説を持ち出すことは珍しくなった。マジックナンバーの呪いが解けていく様は感慨深い。

「生存戦略」というけれど、実態はどちらかというと「自己実現戦略」や「成長戦略」だったりする。「生存」よりずっと高いバーに背筋が伸びる。これがアニメの力か。

自分はより語義に近い意味で生存戦略のことをよく考える: 先に書いた人生の荒波が立て続けに降りかかったり、自身の将来価値が期待に大きく届かなかったとき、自分は文字通り生き残れるのだろうか。ホームレスになる…可能性は今のところ十分小さいと信じているけれど、たとえばブラック企業で死にそうになりながら日銭を稼ぐ羽目に陥らず、退職後の資金や子供の将来を犠牲にもせず、最低限文化的な生活を続けることはできるのか。

Unhappy Path

巷の「生存戦略」は必ずしもこうした疑問に答えてくれない。プログラマは楽観的な生き物で、エラー処理のことは忘れがち。Happy path が綺麗に書けたらだいたい満足してしまう。もちろん望ましい成功のあり方を考えるのは良いことだ。Think and Grow Rich! そのロジックが整然としているほどエラーの入り込む余地は小さくなる。多くの生存戦略たちは、少なくともそうした成功シナリオのデザインを支えてはいる。

ただそうはいってもエラーはおこる。いつかおこる。人生のuptimeが長くなるほど、本来起きるはずのないエラーに出遭う確率は上がっていく。

会社員である自分はこれまで三回転職をしている。いまの勤務先が四社目。一社目をやめてしばらくしたあと、その会社はリストラをして六割以上の社員が希望退職や肩叩きで席を追われた。業種の違う二社目でもなぜか同じことが起きた。三社目に至っては退職直後になくなってしまった。別に自分は逃げ出したわけじゃない。堪え性のない身として三年もたずに辞めただけ。だから驚いた。今の勤務先は景気のいい大企業でもう6年くらい楽しく勤めているけれど、それでも永遠に続くと信じ仕事としてのめり込んでいたオープンソースプロジェクトはある日突然フォークするとか言い出しどこかに行ってしまった。思わぬエラーは、けっこう身近なところにある。

今のところ直撃や致命傷は免れている。でも年をとるにつれ自分の身軽さは失われていく。次や、その次の災難をやりすごせるのか。自信はない。ニュースサイトにレイオフの記事が現れるたび、つい隅々まで読んでしまう。コメント欄の悲痛な声に目を奪われる。

Happy pathの生存戦略はこう考えている: 十分な実力や技術力や知名度があればレイオフもブラック上司も恐れるに足らない。

正しい。ただし自分の能力をいつも客観的に図れると信じるのは危うい。技術力や知名度は不透明な水物だ。忙しい日々のあと気がついたら手元の技術が全部ゴミになっていることはある。井の中の蛙たる自分に気づかないこともある。

それに気がついたところで、間に合わないこともある。ギャップは時間があれば埋められる。けれどひび割れを直す間もなく望まない非連続な人生の変化が訪れたらどうなるか。老いて余裕のない身にそんな厄災が降りかかったら?

脅迫観念じみているとは思う。多くの人は大過なく職業人生を終えるだろう。かといって他人事と言い切れるほど遠いどこかの話でもない。少なくとも自分にとっては・・・

身の危険ばかりを気にしながら生きるのは息苦しい。だからまずは大きなビジョンを描けばいい。けれど納得のいくPlan Aができたなら、つぎはPlan Bを考えてもいいと思う。

個人を超えた戦略

などと偉そうなことを言いながら、自分は良い生存戦略、Plan Bを持っていない。ははは。

Plan Bが必要な段階だと、最悪もう独力では問題を解決できなくなっている。誰かに助けを求めるほかない。けれど誰に、あるいはどこに助けを求めれば良いのか。よくわからない。

プログラマの世界にはインターネットを通じたテクノロジ毎のコミュニティがある。それが助けになることはあるだろう。同様に「元同僚」のように雇用を通じたネットワークも、地域の集まりもある。人付き合いが億劫な自分は技術コミュニティも企業同窓会もローカルUGも熱心には参加していない。別の見方をすれば人を助けることに時間や労を割いてこなかった。この不安を薄情さの帰結と言われれば言い返せない。

なんにせよ、Plan Bバージョンの生存戦略を議論するならコミュニティとの関係は一つのテーマだろう。

そんなコミュニズム的解決の対極は資本の力に頼る道。早めに金を稼いでおけ、副収入をもっておけ、みたいな話。スタートアップやアプリで一山あてるのがその究極系だけれど、もうちょっと穏当なオプションがあってもいいのにと思う。

たとえば。若く体力や時間のあるプログラマほどガリガリとコードを書いて大きな活躍ができるのだとしたら、そういう勢い余ったプログラマに見合った対価を払えばいい。働き始めてから10年くらいはガンガン書いて稼ぎまくり、年をとったらペースを落としていく。人生後半での収入に依存する度合いが減ればあとからエラーがおきても被害を小さく留めることができる。いまのところ雇用の慣習はそうなっていないけれど、プログラマはそういう方向に業界を後押しすべき…かもしれない。個人的には気後れしてしまうけどね。

コミュニティや雇用習慣といった論点がどれだけ的を射たものなのか、しょうじき自分にはわからない。けれどPlan Bを現実にしたいなら時に個人の範疇をこえた議論がいるとは思う。労組や行政の守備範囲と言えるかもしれない。でもプログラマという職や計算機産業のユニークさを活かすには当事者からの声が求められるだろう。政治にうるさいおっさんプログラマの気持ちが少しわかってくる。

まとめ

「35歳定年説」に長らく感じてきた苛立ちを言語化しようと書きはじめたこの一連の文章では、まず言葉の強さに便乗した煽り文書を通じてミームの力を再認識し、その引力がプログラマ自身の言説をいかに歪めたかを振り返った。そしてより現代的な「生存戦略」が定年説を乗り越える姿に敬意を示しつつ、その裏にある辛いほうの生存戦略を定義した。ツイてない、またはひどくうかつなプログラマが食いつなぐ難しさを想像して震え、それを救えるかもしれない世界を空想していたらつい主語がでかくなった。

プログラマのキャリア語りが、より実りあるものとなりますように。

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